2010年4月29日木曜日

現場取材雑記_4

今までお世話になったプロカメラマンの一人に、若手ながら素晴らしい方がいる。
初めての撮影現場に、彼はご自身が所有するステップワゴンに、あらゆる器材を満載してやってきた。カメラ2機、ストロボ、レンズ、露出計その他の詰まったバッグ、三脚、レフ板を抱えて、室温40℃近傍の現場に入り、一人で絵作りをしてくれたのだ。機械設備が吐き出す大轟音と熱、蒸気、限られた時間を前に、淡々とにこやかに構図を決める。シャッターを切る前に、試し撮りの絵を必ず見せてから本番に入る。被写体となる人の気持ちを盛り上げることも忘れない。大轟音の現場をバックに並んだ現場のスタッフは、その仏頂面を、カメラマンである彼の「はい、チーズ!」の一言で、思わずほころばせたのだ。
「プロだ…」と唸るのみだ。実際、彼ほど柔軟で、機転が利き、一緒に仕事をして楽しい方はいなかった。私は相変わらず、素人写真しか撮れないが、最低限必要な絵作りのコツを、彼からたくさん学んだ。お支払いできるギャラの額を、はるかに超えた貢献をしてくれたのだ。
残念ながら、一緒に取材の成果を発表できる場となっていた雑誌は休刊となった。
だが、「製造現場の絵本を作ろう」という考えに賛同してくれた彼と、新しい絵本を作る機会を絶対に作るつもりだ。
製造現場は美しい。その想いが共有できる方と、奇跡のように出会た。
Midori

2010年4月26日月曜日

春が来た

江東、という名前の語源は、江=隅田川、東=川の東、であるらしい。永井荷風の小説に有名な「濹東綺譚(ぼくとうきだん)」の濹、も、やはり隅田川を指すのだそうだ。「川向こう」という言葉にも表れているように、隅田川の東側は上から目線で表現すると、“大江戸とはちょっと違うあっち側”ということになろう。
川向こうの江東区には、運河が縦横に走っている。近年は、川の浄化のため、あらゆる策をほどこしたおかげか、運河には小魚が戻り、その魚を狙って水鳥も増えてきた。
数ある運河沿いに位置する、某“広大な敷地”を、外資系ハイテク機器メーカーが買付け、「ここを本社とする」と宣言したのは2008年5月。プレスリリースによると、国内社員6,000人がここに結集し、「新社屋についての続報は、逐次発表する」としていた。
着工後、あっという間に整地され、基礎が築かれた…。その後、工事は止まった、あるいはスローダウンした…。この現場だけでなく、国内のあらゆる大型プロジェクトが、2008年末から一時休止、凍結、中止となった。
続報は発表されないままだったが、現在、その新社屋の竣工は2011年初頭を目指し、ご覧のように大型重機を幾つも導入して、追い上げにかかり始めたようだ。
新社屋完成と同時に、6,000人の社員の方々は、ここ江東区に親しむことになる。シリコンバレーからも、世界各地の拠点からも、この運河沿いの穏やかな地にやってくる。一年後、ここから撮影する風景は一変することになる。
それにしても、本当に春がやってきたんだな…
Midori

2010年4月25日日曜日

自転車で居酒屋へ_1

山城屋酒場。いつも常連さんで一杯
筆者の住まいがある江東区は、古くからの大衆酒場の宝庫だ。江戸時代から下町、と呼ばれてきたエリアなので、客の志向も古くから受け継がれてきたのだろう。「新しい店ができた」と思っても、いつの間にか消えてしまい、結局、生き残るのは老舗。不思議と居酒屋には、敷居の高いエリアである。

山城屋は、江東区の老舗居酒屋のなかでも、超有名店だ。創業は明治時代という。最近は、TVや雑誌に取り上げられることが増えたためか、常連に混じって、いかにもオシャレな若者が、うつむきがちに煮込みをつついていたりする。

行くときはいつも自転車。いずれの最寄り駅からも、ちょっと距離があるので、自転車に限る。ご近所さんの自転車も、店の前にずらり。幸せなことに、江東区の人気店のほとんどが、自転車で行ける。
つまみは、何でも美味い。それに安い。お店の美人のお姐さん(ハルちゃん)の手際が鮮やかで、注文してから数十秒でドリンクのお代わりが出てくる。
長居の常連も、さっと飲んでお帰りになる常連もいる。彼らが作ってくれる雰囲気のおかげで、マナーの悪い奴は来ない。そこも素敵なところだ。

江東区の老舗大衆酒場には、有名人が常連となっている店も多い。なぎら健壱氏、あるいは吉田類氏来店の痕跡があれば、太鼓判。山城屋も当然のように、お二人から太鼓判を押されている店だ。

もう少し季節が進めば、カワエビのから揚げが出てくる。楽しみだ。
(いかにも常連のように偉そうに書いてしまいました…通い始めて2年です。スミマセン)
Midori

2010年4月23日金曜日

ワイングラス5つ

仕事でお世話になった方々と、久しぶりに集まる機会があった。

皆、業界の重鎮中の重鎮。著名な研究者でもあり、大先輩でもある。

時間が経つのを忘れるほど楽しかった。

研究者というのは、本当に持論を伝えるのがうまい。さらりと凄いことを言う。
辛辣なテーマも笑いに載せるから、後を引かない。
まず始めに、主文が来て、論旨が続く、という論文形式の運びに慣れているからか。
それにしても、笑いのセンスはどこで磨いているのだろう…

仕事が縁でつながった方たちだが、一生大切にしたい宝物のようなご縁だ。
それほど自分の人生も悪くないな、と思える。

5つ並んだワイングラスをとどめておきたくて、撮ってみた。
猪口も並んでいるのはご愛嬌で。
Midori

2010年4月22日木曜日

笑いと黒さ

JibJabが毎年年末にリリースしているグリーティング動画(年賀状代わり)が最高に面白い。
「こんな年は今までも、今後もないぞ」というタイトルが意味深だが、毎年、実にシニカルに、自国アメリカを笑っている。
まだご覧になってない方、是非見て欲しい。時期がずれていて恐縮だが、あえてアップした。

Never a Year Like '09
2010年も笑いで一杯だといいね、が、最後のメッセージだが、実際2009年末、一部の市場で景気が回復し、物理的にも笑いが止まらない事業者もいたはずだ。
確かに需要は一部で唐突に盛り上がった。V字回復か?と投資アナリストを興奮させた。
100年に一度の不況、という、想像するだけで暗くなる言い回しが、昨年は各所で聞かれた。しかし、舞台から惜しまれて消える演者もいれば、どこ吹く風、ますます光り輝く演者もいるのだ。黒字回復した企業がある反面、苦しみ続けている企業も多く、すさまじく二極化が進んでいる。
不況が底を打った今、這い上がるための情報戦が激しくなっているように思えてならない。ご紹介したこの動画の中にも、自動車の王様がハンマーで潰されるシーンが登場する。叩かれる側も、叩く側も必死。己の力を信じられるなら、今、粘って這い上がることだ。そのために、黒さが必要なら、あえて隠す必要はない。
Midori

2010年4月21日水曜日

シャトル

写真は、本文とは関係ありません。
宇宙飛行士の山崎直子さんが、日本時間の昨夜、無事に帰還した。全世界の視聴者が、この中継を見守り、シャトルの機体が着地したことに、胸を撫で下ろした。

山崎さんは、用意されたインタビューの機会に、日本語と英語で堂々とスピーチした。見ているこちらも、思わず笑顔になる。
彼女のご両親は、TVカメラに向かい「着地した瞬間、嬉しかった」、と言われた。親の気持ちがこもる、重い一言だ。

着地のシーンをリアルタイムに見た。食い入るように。
主翼のエッジが黒く変色しているのがわかる。摩耗しているのだろうか…
関係者には申し訳ないが、着地するまでの間、祈るような気持ちでいた。

不幸にして、シャトルの事故は何回か起こっている。

1995年、エンデバーの外部燃料タンクの発泡断熱材にキツツキが穴を開け、発射が遅れた。発泡断熱材は、もろく壊れやすい。発射時に振動ではがれ落ちる可能性がある。
2003年、コロンビア号帰還時の空中分解事故が起こった。この事故の原因も、外部燃料タンクの断熱材が原因とみられている。

どんなモノも壊れるし、寿命もある。そこを見越して先手を打つのが、現代のメンテナンスのあり方。

100%をターゲットにするのではなく、事故が起こりうると前提して対策を打つのだ。それを思うと、シャトルという“機械”は、ぎりぎりの設定条件で創られ、一旦離陸したら着地するまで、すべてがシナリオに乗っている。マージンなし。トラブルは即決。怪物だ。

私のパートナーの一人(アメリカ人)は、たまに「それって100%?」と聞いてくる。
絶対大丈夫?ということなのだが、絶対などありえん、とは言えず、「100%近く…」などと言ってお茶を濁す。

彼の立場は、現代のメンテナンスのあり方を伝える側なのだが…

Midori

2010年4月19日月曜日

現場取材雑記_3


出版社や報道機関を「プレス」と表現することも多いが、言うまでもなく印刷機が語源だ。版を紙に押し付けて転写するところから来ている。
「紙メディアの終焉元年 2010年(筆者命名)」になっても、この言い方はかわらない。
若い頃は、記者発表会に出かけ、「プレスの方はこちらへ…」などと言われるたびに、面映いような、誇らしいような気持ちになったものだ。

出版不況は深刻化し、
メディアを持たないマスコミ人が増えている。
一方、紙のメディアがないマスコミは、取材先に「自分たちが何者であるか」を説明するのに、ひと苦労している。
結局、ブログやインターネット経由の投稿記事をコピーし、自己紹介に添えて「紙で」見せたりする。
あるいは、人気ブロガーになると、ブログ記事をまとめた本(当然紙)が出版され、ベストセラーになったりする。
現実は、情報を提供する側(紙のメディアから締め出される側)と、受け取る側(やっぱり紙が好き側)との乖離があって、一足飛びには埋まらない。
同じ情報でも、紙の情報なら金を出すが、サイバー系の情報は、タダで当然…なのだし。

筆者の現在の専門は、工業分野である。製造に関わる人と設備がテーマだ。特に人は、携わる製品や担当する機械への愛情を、いつの間にか育んでいき、誇りを持っている。この誇りに触発されるために、現場にうかがうのだ、と思っている。
現場を記事で語るには、数ショットの強い写真と、現場担当者の誇りに満ちたコメントがあれば十分だ。

彼らの誇りが伝わるようなメディアのあり方を探求したいと思う。
絶対に、解があるはずだ。
Midori

2010年4月18日日曜日

反社

写真は本文とは関係ありません。
「反射」や「販社」ならともかく、あまりリアルでは聞いたり、話したりする言葉ではなく、一種の業界用語とも言えよう。
正確には「反社会的勢力」、具体的には「暴力団、暴力団員またはこれらに準じる者」と定義されている。
昔々、「反社の人々と付き合って何が悪い」と言い放ち、クビになったプロ野球のコーチがいたが、今回は一部上場企業の社長が「反社」との付き合いが問題となり、辞任に追い込まれた。
ここでポイントとなるのは、その「反社」の人が本当に「反社」であるのか、どの程度の付き合いであったか、となるのが普通であろう。しかし、どちらもはっきりしないだけでなく、はっきりさせるつもりもないようだ。「そのような人と付き合いがある時点で、社長として適格でない」というのが理由としている。
一方、「反社」とされた企業・人物に関して、「真っ黒」とみなす理由はほとんどないようだ。日本の法律や常識から見て「反市場的」な行為を行った「実績」はあるが、違法だと断定された訳ではなく、ましてや反社会的勢力とは言えない。基本的に彼らのようなファンドと呼ばれる存在は、顧客と自分達の利益のためにグレーソーン(結果的にはブラックになる場合も)な手法や手口を用いることはあるが、違法行為そのものが目的ではない。
今回も、彼らがどのような案件を持ちかけ、その中身がどうだったのかが非常に重要になるのだが、それについての説明は一切なく、「反社」だけで押し切ろうとしている。
今回の騒動は、海外メディアから「時代遅れで、現状に満足している企業文化の典型」と揶揄されている。
お互いに話していない(話せない)内容は非常に多いと思われるが、それらが明らかにならない限り、「風評被害」は拡大していく可能性は高い。
Makoto

ネルドリップ珈琲


静止画ではありません。1滴1滴、ポットの注ぎ口からお湯が注入されています。

出来上がるまでの時間、香りと雰囲気を存分に楽しめます。至福です。

Midori

東京スカイツリー

新東京タワーは、つい先月、兄貴の背の丈を抜いた。
自宅からも、先端がちらちらと見えるまでになった。唐突に現れたような気もするが、もう2年弱も、コツコツと積み上げてきたという。
コツコツに弱い私は、誘いに乗るように、現場を見に行ってきた。

「現在349m」という指標が、現場の作業員にも、見物人にもわかる位置に掲げられている。
予定では、634mがゴールらしいから、まだまだ高くなる。
現場は、見物人で一杯だ。誰もがカメラを構え、カメラがなければ携帯電話のカメラを取り出す。
どこから構えても、広角レンズでもなければ、タワーの全容を捉えることはできない。
とにかく、大きく、高いのだ。

伸びていく行方も気になるが、圧巻は根っこのほうだ。


部外者は入れないエリアにひしめく重機の数々。絶え間なく運び込まれる建設資材。人の姿は、タワーのスケールに負けて、蟻のように小さく見える。ほとんど認識することができないのが歯がゆく、フェンスを乗り越えたい衝動に駆られる。
タワーをここまで積み上げたのは、機械ではなく、人なのだ。その単純な事実に感動する。
タワーの根っこは、現場に設けられたフェンスの、あちら側とこちら側の熱気で、静かなお祭り状態になっていた。
Midori

2010年4月16日金曜日

現場取材雑記_2


メンテナンス Maintenance という言葉は「保全」と訳されることが多い。英和辞典には、確かに補修管理、整備、保全、などの意味が並列に載っている。しかし、“現場”でのメンテナンスとなると、補修管理も整備も保全も、全てを統合しないとメンテナンスという意味にならない。「保全」には危機管理というニュアンスが強く感じられるため、メンテナンス=保全ではない。

言葉の屁理屈はさておき、製造の現場は楽しい。まず、現場に入るまでが大変だ。私の経験から、取材を申し込んで成功する確率は、強力なコネがあって50%、コネがなければ10%以下だろう。
稼働率が高い工場には、まず入れない。邪魔するだけだ。稼働率が低くてもだめ。かっこ悪いから、という理由で断られる。

そんな大変な思いをして、さあ現場。
油の焦げたにおいがする。どんなにクリーンな現場(スーパークリーンを除くが)でも、必ずこのにおいが、かすかに残っているものだ。私は、このにおいが大好きだ。現場の汗、あるいは涙のようで、強い生命力を感じる。
メンテナンス係は、オペレーターとは違う視点で設備をみる。機器が正常に稼働しているかどうか、目だけでなく、耳、鼻といったセンサーを働かせて、設備のアラ探しをするのだ。

写真は、某製造現場で撮ったもの。メンテナンス係(保全担当者、という名前だったが…)の七つ道具が詰まっているカートだ。一人ひとりに、このカートが与えられる。整理する方法まで決まっている。
何かコトが起こると、このカートを引っ張っていき、すばやく対処するのだ。
この現場では、古くなった大型ギヤを前に、複数のメンテナンス係が議論していた。補修の対処法についての意見が割れたのだ。
夢中で写真を撮った。ストロボも光る。誰も振り向かなかった。
Midori

2010年4月15日木曜日

研究者とビジネス

写真は本文とは関係ありません。

大切にしてきたグループがある。約20年にわたって、つながってきた研究者の方々だ。
つながり始めた当時は、皆若かった。その分野全体にエネルギーが満ち溢れ、仕事が次々に押し寄せ、20代の若手研究者も寸暇を惜しんで研究に没頭していた。
彼らは、製造プロセスの研究者だ。どこよりも高品質な製品を、どの競合よりも早く作るための技術を研究するのが仕事だ。成果が会社の命運を左右するから、1分1秒も惜しい。
いつしか彼らは、インフォーマルミーティングを催し、競合や上下関係をとっぱらった情報交換の形を自然に作っていった。会社人であるから、自社に不利益なことはできない。しかし、皆不思議なほど、お互いの研究内容や、考えを知っていた。
無邪気な私(当時)は、ある若手に聞いてみた。「なぜこれほどオープンにお話できるんでしょう」。
答は「学会で発表された内容がベースになっているだけ。皆、想像でしゃべってる」。
驚愕した。とても想像でしゃべっているとは思えない内容だったからだ。
何より、国際学会でパブリッシュされた内容は、殆どロスタイムなしに、皆が把握していることに驚いた。
研究とビジネスのバランスイメージは、私の頭の中に、決定的に出来上がった。

時間が経過し、研究者たちの仕事の形も変わった。
当時の若手は、業界の重鎮と言われるようになった。
しかし重鎮になった彼らは、相変わらず顔を合わせると、グラスを片手に合成ポリマーの話などしている。
彼らにとって、研究する環境に身を置き、最先端の情報を把握するのは、会社人であることを超え、空気を吸うように自然なことなのだ。
Midori

2010年4月14日水曜日

紙の時代

写真は本文とは関係ありません。
星の数ほど会社がある。
業界、職種、国によって、カルチャーが異なる。
そして、業界ごとに業界紙(誌)があると言われている。全世界にどれくらいメディアがあるのか、想像もつかないが、それこそ星の数だろう。
影響力の強いメディアを持つマスコミ人は、メディアを大看板に仕事ができる。
研鑽を積めば、看板はいつか外れ、個人として勝負できるマスコミ人となれる。
ところが、紙が主流だったこれまでのメディアは、サイバーメディアの波に飲まれて、その業態を変えざるを得なくなっている。読者が、紙以外のメディアに対応できず、変われない場合もある。
結果として、変われないメディアや出版社が、次々に潰れている。
マスコミ人も世界中で、業界ごとに右往左往している。残念だが、事実だ。

時代を味方につけたこんな人もいる。彼のような成功者は希少だ。

先日、友人が私に、こんなことを言った。
「紙は終わらないよ。何千年も続いているじゃない。紙にこだわって、本や雑誌を出し続ければ、いずれ紙に希少価値が生まれる時代が来て、金持ち相手の商売ができるよ」。
友人は私に、紙を諦めるな、と助言したつもりなのだ。
論旨が逆説になっていることに、友人は気づいていなかった。
Midori

2010年4月13日火曜日

現場取材雑記_1


一昨年、某部品工場を取材でうかがった時のこと。
ちょうど季節は今頃だった。

工場内の写真撮影はご法度。繰り返し釘を刺されていた。
それでも、来たからには丸腰では帰れない。
「掲載するかどうかは、ゲラを見てから」という条件で、制限付きで撮影した。

結果は… OKだった。写真は見開きで掲載された。
ボツも覚悟していたが、ぎりぎりのところで譲歩してもらった。感謝。

製造技術は、ある部分では門外不出、ノウハウである、という建前はわかる。
でも、どんな製造技術にも、同業者と共有できる部分があるはず。
競合以前のノウハウは、競合同士で議論すれば、全体のレベルが上がるはずだ。

取材後に、技術陣の方々と飲んだ日本酒は最高に美味しかった。
Midori

Rest in Peace


尊敬していた方が、昨年の初夏、すでに旅立たれていたことを知った。
のん気な私は、いつか再会出来ると信じきっていた。

山を愛し、音楽を愛し、世界中に友人と仕事仲間を残して去っていったDr. Ito.
皆が今でも、あなたを悼んでいます。
いつか必ず、この地を訪れます。約束を果たせず、ごめんなさい。
Midori

2010年4月12日月曜日

始まり

4月も中旬に近いのに、外は冷たい雨が降っている。
でも、春は春。伸びゆく季節だ。

私も、ようやく始める準備ができた。

江東区の真ん中から、世界につながってみよう。
Midori